![]() 横にスクロールして ご覧になって下さい。→→→ 無断転載複写を禁じます。 Photo&uploaded by web-sahara.com (佐原和人) |
セプテンバー・イレブンの事件直後から10日間ほど、私とアーティストの友人と二人で毎日、テレビのニュースを見て過ごした。 テレビ塔がワールドトレードセンターと一緒にに崩壊してしまった為にニュージャージー州にあるテレビ局しか映らなかった。 友人は、スイス人でまだ30代、同じビルにスタジオを持っていて、アメリカのビザの都合で3か月ごとにニューヨークへ来て、スタジオでキャンプ生活をしていた。ニューヨークでは最低限の物しか持っていないので、私のスタジオに、娘の学校が休みで強制的にスタジオで過ごさせる時の為に置いてあるテレビのニュースを見にきていた。 当日、私はたまたま6?離れた自宅で書類作成をしていたのだが、スタジオにいた友人はビル倒壊の時に、ビル内でガス爆発があったのかと思うほどの衝撃を感じたそうだ。お互いに、こんなに近くで起きた大事件に動揺していて、毎日、新聞、ラジオやテレビのニュースで事実を確認する事に必死だったように思う。アメリカのニュースは信用出来ないと、友人はドイツ語のニュース、私は日本語のニュースをウェッブサイトから集めて、議論をした。 私は当時、主人が日本に居たので娘と二人だけの生活だった。同情してくれ、出来るだけ一緒に過ごしてくれていたというのは、後のち気付いたことだが、それでもお互いに話す相手が必要だったのだと思う。 「こんな事件が起きたのに平気で制作が出来るアーティストが居るなんて信じられない。」と友人は毎日テレビを見て過ごす後ろめたさを含みながら言っていた。お互いに期限があるような、ないような仕事を抱えて、毎日、休まずコマネズミの様に制作をしているアーティスト同士。気持ちは同じ。この事件後、現代アーティスト達がどのような作品を提示して来るかということも話題に上った。それは一種のアーティストとしての恐怖でもあったと思う。アメリカ側に住んでいる、恵まれた生活をしている人々の世界観が一瞬にして変ってしまったという衝撃の事件。それを表現してゆく事が自分には出来るのか?と詰問されている様な事であるから。あの事件の私自身の苦しさ悲しさはここにあったと思う。 日々の制作する時間を心待ちにして、重ねてゆく仕事。リトグラフは、石を平坦に削る事から始まり、版を作り、紙をプレスにかけ、一色ごとに刷ってゆく過程の多い仕事。その過程をこなしていく事自体が私はとても好きだ。刷りをこなしていく事で、その経験が次の制作の発想を無限にしてくれる可能性を見せてくれる。その事が嬉しくてたまらない。題材は、自分の体を通して感じる、湿度気温、気候季節の色。そして光。事件後もそれは変らない。無理はしない。 A forget-me-not(centre)制作は事件直後。 我ながら驚くほどの暗いトーン。色を選ぶ時に意識せずとも気分が反映されるもの。 両サイドの作品は余りの暗さに、光が欲しくて窓の反射を描き込んだ。 2月 2003年 ニューヨークにて 板東 里佳 |
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