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2003.1.14(tue)〜25(sat)
火の如し
森田晴樹(大阪府) 畠中光享(京都府) 斉藤隆(福島県) 池田一憲(島根県)
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無断転載複写を禁じます。 Photo&uploaded by web-sahara.com (佐原和人)
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「蓮の池」
今年は何がなんでも蓮が描きたかった。
20年ほど前、金もないのに働きもせず、絵描きを目指し往復3時間をかけて京都の植物園で唯ただ蓮のスケッチだけをくり返していた、その頃のことを
思い出したかったのです。
今回の蓮は主に長居植物園でのスケッチです。京都はやっぱり遠い。
長居植物園は今年のワールドカップサッカーの公式戦が開かれた競技場や野球場やプールなどの数多くの運動施設がある長居公園の一角にあります。ワールドカップの影響で昨年まで沢山あったホームレスの青いテントは全て撤去され公園全体は奇麗に整理されているのですが、どこからともなくジョギングや自転車や犬の散歩の人々が現れてごちゃごちゃしています。その喧噪の中を通り抜けて一歩植物園に入ると、そこは閑散としていてまるで別世界にいるようです。
夏の水辺の主役の蓮と睡蓮が競合している広い池の回りは全く日陰はなく、坐っているだけも汗だくです。朝持って行く2Pのペットボトルのお茶も帰りにはなくなっています。曇った日のスケッチは身体には楽ですが、真夏の炎天下での汗だくのスケッチもなかなか気持ちのいいものです。
この夏のスケッチで、忘れていたものを少しは思いだせたような気がします。
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「蓮の池」97×260cm 「ゆり」変30
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炎えるような熱烈な精神をもって立ち向かっていかなければならない厳しい状況にいきている。
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左から「仏手柑」F4 「炎心」P30 「観世音」23×17.2cm
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第四回、四士会展へ
今回の競作テーマは「炎」、覚束無い遠い彼方の風景。自覚のないままで全く手がつかなかった。
感情の働きを表わす手のかたち。「拳」と「握る」を墨の筆線で描写。「終わりなき始まり」梁石日著の小説、上下巻の表紙に使いたいと、装丁者の菊地信義氏から指定されたテーマ。それは突然に朝日新聞社より話があった。
ー墨による表現ーは描けない状態の低迷が二年余り経過していた。墨を選んで、この技法でよかったのかー。果てしなく続く疑念に鬱として藻掻く日々を徒然としていた。そんな処に表紙画の依頼であった。与えられたテーマであったが、決められた時間内に、この墨の仕事を続けたいと願って描いた作品であった。
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「拳」M30 「握る」M30 「手」F6
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「親鸞と法然(悪と二種廻向)」
ー一つ、二種廻向の説は念仏の行者がこの世とあの世の無限に循環する命を考える。永遠の問題は宗教の中心問題なのである。二つ、二種廻向の説を失った浄土宗の欠点は、還相廻向の化物の精神つまり利他の精神に乏しいということである。ー『法然の悲しみ』梅原猛著に感動し、己の器も顧みずに筆を動かしはじめる。悪の問題は核の問題とする。「新聞、写真、映画、ラジオ、蓄音機、電話、電報、種々の機械類、自動車、電車、汽車、飛行機、そして最後に原子爆弾。できるだけ速い眼、できるだけ速い耳、できるだけ速い口、できるだけ速い手、できるだけ速い足、そして最後にできるだけ速い死なのである。『闇のパトス』ここでも梅原先生の問題の本質に迫る言葉に出会う。(当時まだテレビは普及していなかったのか)広島の詩人、伊藤真理子氏から牛田町安楽寺の被爆大イチョウの存在を教えられた。被爆大イチョウから、親鸞ゆかりの東京元麻布、善福寺の「逆イチョウ」を知った。「避災のため池中に入れられた像がやがて蓮葉をかぶって出現した」と伝えられる盛岡市本誓寺の『蓮かぶりの親鸞像』に、自らが極楽浄土から、かえってきたと信じていた親鸞、法然をダブらせた。妙好人浅原才市の次の偈に、鈴木大拙は還相廻向を観る。
○よろこびを、まかせるひとわ、なむの二じ。われが、よろこびや、なむがをる。
才市やどんとこ、はたらくばかり。
いまわ、あなたに、くをとられ、
はたらくみこそ、なむあみだぶつ。
らくもこれ、よろこびもこれ、さとるもこれ。
らくらくと、らくこそらくで、
うきよをすごすよ。
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「親鸞と法然(悪と二種廻向)」F50 「椿」F3
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